2010年11月03日

生きてます

咳がとまらなーい。



咳のし過ぎで喉が痛くなってきた。

腰にも響いてくる。

咳の音も、変な音になってきた。



初めてのことって、なんでこんなにも怖いんやろうかー?





栗城くんの本で、
「生きてます」
という言葉がある。



天国はつくるものPart2の中のガンの医師小宮山さんの会話。
「小宮山さん、来年もこられますか?」
「生きていれば」





どちらの言葉も、『生』を感じる。



栗城くんは8,000m級の、いつ死んでもおかしくない登山。

死と隣り合わせの状況。



小宮山さんも、ガンで余命宣告。



「生きてます」
「生きていれば」



『生』
が、誰もが感じることのできる、
『死』
との対比によって、
すごく鮮明になっている。

読んでる人、見ている人にも伝わる。





健康で、命に別状がなさそうな人が、
死と隣り合わせじゃない人が、
「生きてます」
「生きていれば」
って使っても、ぴんとこなかった。



だけど、ふと思った。

この咳大丈夫なんかな?
止まらなかったら寝れない?
身体やばいんかな?

…死ぬんかなー。

でも、今、生きてるなあ。



生きてるじゃん!

生きてればできること、いっぱいある。

死ぬってわかってたらできること、いっぱいある。



生きてたら、
学校つくれる。

死ぬってわかってたら、
教育委員会に想い語れる。



生きてたら、
日本中のきらきら生きる人を先生に呼べる。

死ぬってわかってたら、
学校にきらきらな人を派遣できるシステムを後世に残せる。



生きてたら、
愛いたいときに、愛いたい人に愛える。

死ぬってわかってたら、
限りなく感謝できる。
感謝を惜しみなく伝えることができる。
抱きしめることができる。



生きてたら、
あかり(妻)に愛える。

死ぬってわかってたら、
いつでも、どんなあかりでも、どんな状況でも受け止められる。





みんな、
「生きてます」

そして、
「死ぬってわかってる」





僕も、いつ死んでもおかしくない。

望んで死ぬことはない。

だけど、いつか死ぬ。

それは、80歳かもしれないし、
50歳かもしれない。

来年かもしれないし、
明日かも、今日かもしれない。



でも、

今、

「生きてます」





そう、僕は生きている。

死を含みながら。





死を感じることって、
死を考えることって、
決して悪いことじゃないって思った。

生を感じるに、
むしろ素敵なことやったり。







あ。

なんか、咳も悪くないなあ。



そう思えたから?

あれだけ苦痛だった咳がやわらいじゃった(笑)



不思議(*^-^*)

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